柊家のこと

文政元年(一八一八年)の創業以来、御所近くの街中にある京の宿として、今も昔も変わらぬおもてなしの心と共に皆様をお迎えいたしております。

その名の由来は、下鴨神社の境内にある比良木神社。邪気を祓う柊の木が自生するこの神社に先祖は深く帰依し、それになぞらえ屋号を「柊家」といたしました。
創業以来、幕末の志士達、明治時代からの皇族方、文人墨客の方々をはじめ国内外のお客様をお迎えし、今日に至っております。

Hiiragi Hiiragi Hiiragi
京都ではいつも柊家に泊まって

あの柊の葉の模様の夜具にもなじみが深い。京に着いた夜、染分けのやはらかい柊模様の掛布団に、女中さんが白い清潔なおほいをかけるのをみてゐると、なじみの宿に安心する。遠い旅の帰りに京へ立寄った時はなほさらである。柊の模様は夜具やゆかたばかりではなく、湯呑や飯茶碗などの瀬戸物にも、みだれ箱や屑入れなどにも、ついてゐるのだが、その柊は目立たない。この目立たないことゝ変わらないことは、古い都の柊家のいゝところだ。昔から格はあっても、ものものしくはなかった。京都は昔から宿屋がよくて、旅客を親しく落ちつかせたものだが、それも変わりつつある。柊家の万事控目が珍しく思へるほどだ。
京のしぐれのころ、また梅雨どきにも、柊家に座って雨をみたり聞いたりしてゐると、なつかしい日本の静けさがある。私の家内なども柊家の清潔な槇の木目の湯船をよくなつかしがる。私は旅が好きだし、宿屋で書きものをする慣はしだが、柊家ほど思い出の多い宿はない。京の名所や古美術なども、この宿を根にして見歩いた、浦上玉堂の「凍雲篩雪」を入手したのも、この宿でめぐりあってだ。政治家や財界人ばかりではなく、画家や学者や文学者にも、昔から親しまれた宿として、柊家は古都の一つの象徴であろう。私は京阪のほかの宿で泊まった後でも柊家へ落ちつきにゆき、中国九州の旅の行き帰りにも柊家に寄って休む。玄関に入ると「来者如帰」の額が目につくが、私にはさうである。

川端康成

お部屋のご紹介

旧館

江戸末期から昭和までの風情を残す数寄屋造りの古都の旅情をお楽しみいただけるお部屋でございます。多くのお客様が過ごされた佇まいを出来るだけ残すようにいたしております。

新館

伝統の技を使いながら、新しい時代に合わせた設備と快適さと共に、他にない新しい意匠を加えたお部屋でございます。新しさの中にも柊家の変わらぬおもてなしの心を受け継いでおります。

柊家 公式サイト